「ASYLUM」ってなんだ?


さて、このイベントのタイトル
「ASYLUM」
この言葉、どういった意味でしょう?

今回のブログでは自分なりの、
ASYLUMのイメージを書いてみたいと思います。



ASYLUMの意味

ASYLUM、と辞書で引くと

1.保護施設、難民収容所、精神科病院
2.避難所、安全な場所、隠れ家、聖域
3.〔政治犯の〕亡命、庇護

などといろいろ出てきます。
僕なりにひとことでいうと、

「大きな力に支配されない聖域」

であると思います。

父性(パターナリズム)より母性(マターナリズム)、
権威より自由、
強さより弱さ、
きびしさよりおおらかさ、
正しさより、間違うことをゆるすこと。

そのような場をつくるには、おそらく
平準化された能力によっておしはかるのではなく、
それぞれの個性や欠点をふくめて
支えあい、寄り添いあうような関係性が必要なのだと思います。


礼拝が続くうちは警官は入れない──6週間祈り続けで移民を強制退去から守る教会 まさにASYLUMだな、と思える事例。国外退去を命じられた難民を、教会が保護する話。

音楽やアートにできること

アートディレクターの北川フラムさんが
「アートは算数のできないやつがやるんだ」
としゃべっているのを聞いたことがあります。

数値化できるものを価値の前提として、この社会は設計されています。
SNS以降は、「その人」の人脈や社会的信頼もまた、
数値化され交換されるようになりました。

音楽やアートは、社会のルールの外側から、
「その人がその人らしくあること」を、
あるいは
「ルール以前のあるがままの力」を、
人々に向けて投げかけることができます。

「ああ、ここに、自分と同じような人間がいるんだ」
あるいは
「ああ、この人は自分とまったく違う人間だけど、ここにいるんだ」
ということが、わかってくる。
音楽やアートにはそんな力があると思います。


ASYLUMをつくるために

音楽やアートが本来もっている力を解放して、
それをたくさんの人で共有することができれば、
自然と
「ああ、こんな場所で生きたかったな」
と思えるような世界に出会えるんじゃないか、
このフェスは、そんな思いから生まれたんじゃないかな、と思います。

数値化された価値をもとにするのではなく、
その人がその人らしくあるような、
そんなありかたでつながることができれば。

あるがままの、弱さも欠点もふくんだ、
その人らしくあることのできる「聖域」。
それは、どこか外側の権威におしつけられたものではなく、
それぞれの内側の個性から導き出されるもののはずです。


越谷の街の、そして沖縄と福島との草の根の連帯から。
小さな理想を、これからも求めつづけたいと思います。


















4月20日(土)、21日(日)開催!!
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平成のつぎは令和だって!?
平成最後の「小さな街フェス」に、
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ASYLUM2019


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■Sakurazaka ASYLUM■



■ASYLUM in Fukushima■
  


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